2つの封筒のパラドックス

=== 2021.01.01 ===

花子「太郎くん.あなたにお年玉をあげましょう」
太郎「ヤッター!」
花子「2つのポチ袋を用意したのでどちらか1つを選んでね」
太郎「じゃあこっち」
ゴソゴソ(太郎が袋を開ける音)
太郎「( \(5,000\) 円か......)ねえ,そっちの袋にはいくら入ってたの?」
花子「ふふふ.今なら選びなおしてもいいよ.1つだけ助言すると,片方の金額がもう片方の倍になるようにお金を入れておいたよ」
太郎「(つまり,もう片方には \(2,500\) 円か \(10,000\) 円が入っているわけか.金額が小さいほうを選んだ確率と大きいほうを選んだ確率はどちらも等しいから,選びなおしたら, \(1/2\) の確率で \(2,500\) 円, \(1/2\) の確率で \(10,000\) 円で期待値は \(6,250\) 円だな).よし,やっぱりそっちの袋をもらうよ」

=== 20XX.01.01 ===

花子「太郎くん.あなたにお年玉をあげましょう」
太郎「ヤッター!」
花子「2つのポチ袋を用意したのでどちらか1つを選んでね」
太郎「じゃあこっち」
ゴソゴソ(太郎が袋を開ける音)
太郎「( \(\boldsymbol{x}\) 円か......)ねえ,そっちの袋にはいくら入ってたの?」
花子「ふふふ.今なら選びなおしてもいいよ.1つだけ助言すると,片方の金額がもう片方の倍になるようにお金を入れておいたよ」
太郎「(つまり,もう片方には \(\boldsymbol{x/2}\) 円か \(\boldsymbol{2x}\) 円が入っているわけか.金額が小さいほうを選んだ確率と大きいほうを選んだ確率はどちらも等しいから,選びなおしたら, \(\boldsymbol{1/2}\) の確率で \(\boldsymbol{x/2}\) 円, \(\boldsymbol{1/2}\) の確率で \(\boldsymbol{2x}\) 円で期待値は \(\boldsymbol{5x/4}\) 円だな).よし,やっぱりそっちの袋をもらうよ」

=== 2100.01.01 ===

花子「太郎くん.あなたにお年玉をあげましょう」
太郎「ヤッター!」
花子「2つのポチ袋を用意したのでどちらか1つを選んでね」
太郎「じゃあこっち」
ゴソゴソ(太郎が袋を開けようとする音)
太郎「(待てよ.例年通りならこっちの袋にいくら入っていようが選びなおしたほうが得だな)ねえ,そっちの袋にはいくら入ってたの?」

花子「ふふふ.今なら選びなおしてもいいよ.1つだけ助言すると,片方の金額がもう片方の倍になるようにお金を入れておいたよ」
太郎「よし,やっぱりそっちの袋をもらうよ」
花子「あれ,今年は中を確認してないようだけどいいの?」
太郎「気づいたんだ,中に何円入っていようが選びなおしたほうが期待値は大きいってね」
花子「そう.ではこちらの袋をどうぞ」
ゴソゴソ(太郎が袋を開けようとする音)
花子「ちょっと待って.今年は特別にもう一回選びなおしてもいいことにしよう」
太郎「(だけど期待値はこっちのほうが高いから......,待てよ,こっちの袋に入っている金額を \(\boldsymbol{x}\) 円とおき直して同様に考えると選びなおしたほうが得だな......)よし,やっぱりそっちの袋をもらうよ」
花子「どうぞ」
ゴソゴソ(太郎が袋を開けようとする音)
花子「ちょっと待って.さらにもう一回選びなおしてもいいことにしよう」
太郎「(だけど期待値はこっちのほうが高いから......,待てよ,こっちの袋に入っている金額を \(\boldsymbol{x}\) 円とおき直して同様に考えると選びなおしたほうが得だな......)よし,やっぱりそっちの袋をもらうよ」
花子「どうぞ」
ゴソゴソ(太郎が袋を開けようとする音)
花子「ちょっと待って.さらにもう一回選びなおしてもいいことにしよう」
……

===

2つの袋の関係性は対称のはずだが,常に袋を選びなおしたほうが期待値が大きくなってしまう.これが2つの封筒のパラドックスである(ポチ袋だが).直感的には袋を選びなおすかどうかで期待値は変わらない.さて,いったいどこがおかしいのだろうか.それとも我々の直感がおかしいのだろうか.

僕の経験上,以下のような解決をする人が多いようである.

次郎「太郎さんは最初に選んだ袋の金額を \(x\) 円として \((x/2,x)\) のペアと \((x,2x)\) のペアを考えたが,これが間違いである.花子さんが用意した金額のペアを \((y,2y)\) とする.(i) 最初に金額が小さい袋を選んだ場合,袋を変更すると \(y\rightarrow2y\) で \(y\) の得,(ii) 最初に金額が小さい袋を選んだ場合,袋を変更すると \(2y\rightarrow y\) で \(y\) の損になる.よって,袋の変更による金額の変化の期待値は \(1/2*y+1/2*(-y)=0\) である.つまり,袋を変更しても意味がない.」

確かに次郎の議論に矛盾はないが,太郎さんの考えがなぜ間違っているのかを説明していない.太郎さんは自分なりの考え方に固執するタイプなので,太郎さんの考え方のどこがなぜ間違っているかを指摘してあげないと,袋を選びなおし続けて生涯を終えることになってしまう.人の恋路を邪魔する奴および異なる考え方を提案するだけでパラドックスを解決したつもりになる奴は馬に蹴られて死ぬがいい,ともいうので,何が矛盾の原因になっているかを以下では考えていこう.

とりあえず,金額は任意の正の実数をとることとする.これは,紙幣の代わりに純金が袋に入っており,金額ではなく金の重量を単位に用いることを想定すれば良い.お年玉が純金なら,換金の手間があるので突発的な無駄遣いを防ぐことができるし,金の相場変動は経済に興味を持つきっかけにもなる.どうですか皆さん,お年玉に純金.

それでは最初に選んだ袋に入った金額を \(x\) 円とする場合を考えていこう.太郎さんはもう一方の袋の金額が \(x/2\) 円または \(2x\) 円である確率をどちらも \(1/2\) だと考えた.しかしこれは花子さんが \((x/2,x)\) のペアと \((x,2x)\) のペアを同じ確率で選んだ場合に成り立つ話だから,一般的には成り立たない.ここが間違いだろうか.

花子「\((x/2,x)\) のペアと \((x,2x)\) のペアが等しく選ばれるような確率分布から私が選んでるとしたら?」

なるほど,そういう設定を加えれば太郎さんの考えはやはりパラドックスを維持する.では切り口を変えて,確率と期待値の基本に立ち返って,もう一方の袋の金額が \(x/2\) 円または \(2x\) 円である確率が等しいとはどういうことかを考えてみよう.確率と期待値は,試行を”たくさん”したときに収束する値のことである.つまり,太郎さんが最初に \(x\) 円を選んだ世界を”たくさん”考えると,そのうち半分の世界ではもう片方の袋に \(x/2\) 円が,もう半分の世界では \(2x\) 円が入っている.それぞれの世界で袋を選びなおすと, \(x/2\) を得た世界と \(2x\) を得た世界が同じ数だけあることになる.
$$\color{#999999}{\frac{x}{2}} \color{#000000}{\leftarrow} \color{#cccccc}{x}\color{#000000}{\rightarrow} \color{#999999}{2x}$$これだけではやはり袋を選びなおしたほうが得である.今, \((x/2,x)\) のペアと \((x,2x)\) のペアが花子さんに選ばれた世界のうち,太郎さんが \(x\) 円を選んだ世界を見ている.それでは,残りの \(x/2\) 円を選んだ世界と \(2x\) 円を選んだ世界はどうなっているのだろうか.任意の \(x\) に対して \((x/2,x)\) のペアと \((x,2x)\) のペアが等しく選ばれるわけだから, \((x/4,x/2)\) のペア, \((2x,4x)\) のペアが花子さんに選ばれた世界も同じだけ存在している.そして太郎さんが最初に \(x/2\) 円を選んだ世界も \(2x\) 円を選んだ世界も,やはり \(x\) 円を選んだ世界と同じだけ存在している.
\begin{align}
\color{#999999}{\frac{x}{2}} \color{#000000}{\leftarrow} & \color{#cccccc}{x} \color{#000000}{\rightarrow} \color{#999999}{2x} \\
\color{#999999}{\frac{x}{4}}\color{#000000}{\leftarrow} \color{#cccccc}{\frac{x}{2}}\color{#000000}{\rightarrow} &\color{#999999}{x} \\
&\color{#999999}{x}\color{#000000}{\leftarrow} \color{#cccccc}{2x}\color{#000000}{\rightarrow} \color{#999999}{4x}
\end{align}まとめると,
$$\color{#999999}{\frac{x}{4}}\color{#000000}{\leftarrow} \color{#999999}{\frac{x}{2}}\color{#000000}{\rightleftharpoons} \color{#000000}{x} \rightleftharpoons \color{#999999}{2x}\color{#000000}{\rightarrow} \color{#999999}{4x}$$さらに, \(x/4\) を選んだ世界,\(4x\) を選んだ世界についても同様の議論が成り立つので,可能な世界はどんどん横に伸びていく.
$$\cdots\rightleftharpoons\frac{x}{8}\rightleftharpoons\frac{x}{4}\rightleftharpoons \frac{x}{2}\rightleftharpoons x \rightleftharpoons 2x\rightleftharpoons 4x\rightleftharpoons 8x\rightleftharpoons \cdots$$全ての金額のペアは花子さんによって等しく選ばれ,そのそれぞれにおいて太郎さんが1つの袋を等しく選ぶので,1つ1つの矢印が表す世界はどれも等しく存在する.無限に続く世界の全体を見ると,袋を選びなおすときの損得は左右の矢印で打ち消されて \(0\) になりそうである.

太郎「というわけで,僕は選んだ袋に \(x\) 円入っていると固定して考えてしまったせいで一部の世界だけを考えてしまっていたんだね.可能な全ての世界を考えると袋を選びなおすことによる損得の期待値は \(0\) だから,もう袋を選びなおすのはやめにするよ」
花子「そう,ずいぶん曖昧な議論に聞こえるけれど.それで納得したのならいいでしょう」
ゴソゴソ(太郎が袋を開ける音)
太郎「 \(5,000\) 円......」
花子「これで可能な世界は2種類に限られたわけだけれど,もう一回だけ選びなおしてもいいんだよ?」

始めに \(5,000\) 円を選んだ世界だけを考えると(条件付き確率をイメージしてほしい),選びなおしたほうが得であるという結論は変わらない.結局,先ほどの結論は,考える世界を無限に広げることで次郎さんの議論と太郎さんの議論の境界を曖昧にしただけである. 今年は袋を開けてしまったので,あと一回選びなおせばそれで終わりになるが,また来年から太郎さんは袋を選びなおし続ける羽目になる.

振り出しに戻って考えなおそう.そもそも,\((x/2,x)\) のペアと \((x,2x)\) のペアが等しく選ばれる確率分布とはどういう分布だろう.この確率分布が記述できれば厳密な議論ができるようになる.金額のペアを選ぶとき,まず小さい金額 \(x\) が選ばれ,それに応じて大きい金額 \(2x\) が自動的に決まるとしよう.このとき,単純に \( x\) を一様分布から選んではいけない.直感的には, \(2x\) を一定の範囲に収めるように \(x\) を選ぶことが,直接 \(x\) をその範囲に収めるより難しいということから理解できるだろう.ペアのいずれかの金額が区間 \([X, X+\Delta X]\) に含まれるようなペアを選ぶことを考えてみると,\(x\) または \(2x\) が区間 \([X, X+\Delta X]\)に含まれるように \(x\) を選ぶとき,それら2つの確率 \(P\) は等しいから,
$$P\ (X\leq x\leq X+\Delta X)=P\ (X\leq 2x\leq X+\Delta X).$$このとき, \(x\) が選ばれる確率密度関数を \(f(x)\) とすれば,上の式は近似的に
\begin{align}f (X)\Delta X&=f \left(\frac{X}{2}\right)\frac{\Delta X}{2}\\
\therefore 2 f(X)&=f \left(\frac{X}{2}\right)\end{align}と書ける.さて,この式を満たす関数 \(f\) は何だろうか.難しい数学の話はわからないので,テキトーに話を進める. \(X\) が \(2\) 倍になると \(f(X)\) が \(1/2\) になる関数,どこかで聞き覚えがないだろうか.小学校の算数で聞いた遠い記憶を呼び起こすと,それは反比例の関係である.実際, \(f(x)=a/x\) を上の式に代入してみると等号が成り立つ.

f:id:a15151595:20200911050124j:plain

それでは,係数 \(a\) を決めよう.確率の合計が \(1\) になる条件から \(a\) が計算できる.察しの良い読者はまだ黙っててください.確率の合計とは \(f(x)\) を積分したものであるから,
\begin{align}
\lim_{(x_m, x_M) \to (0, \infty)} \int_{x_m}^{x_M} f(x)\ dx&=\lim_{(x_m, x_M) \to (0, \infty)}\int_{x_m}^{x_M} \frac{a}{x}\ dx\\
&=\lim_{(x_m, x_M) \to (0, \infty)}\left[ a\ln{x}\right]_{x_m}^{x_M}\\
&=\lim_{(x_m, x_M) \to (0, \infty)} a(\ln{x_M}-\ln{x_m})\\
&=\infty .
\end{align}
太郎「すっかり騙されたよ.そもそも, \((x/2, x)\) と \((x, 2x)\) が等しく選ばれる確率分布なんてありえないんだね」
花子「 \(a/x\) 以外の関数は?例えば次の関数もさっきの式を満たすけど」
$$f(x)=\frac{1+\sin{\left( \frac{2\pi}{\ln{2}}\ln{x}\right) }}{x}$$

f:id:a15151595:20200911050114j:plain

太郎「 \(f(x)=a/x\) は一般解じゃなかったのか......難しい数学の話がわからないからといってテキトーに話を進めてはいけないんだね.でも,この関数も積分すると無限大に発散するね.さっきの式を満たすどんな関数も積分したら正の実数にはならないんじゃない?」
花子「また難しい数学の話がわからないからテキトーに話を進めてない?でも,それで正解」
\begin{align}
\int_0^\infty f(x)\ dx&=\sum_{i=-\infty}^\infty \int_{2^i}^{2^{i+1}} f(x)\ dx\\
a_i&=\int_{2^i}^{2^{i+1}} f(x)\ dx\ とおくと\\
a_i&=\int_{2^{i+1}}^{2^{i+2}} \frac{1}{2}f\left( \frac{x}{2}\right) \ dx\\
&=\int_{2^{i+1}}^{2^{i+2}} f(x) \ dx\\
&=a_{i+1}\\
よって\ a_0&=s\ とおけば\\
\int_0^\infty f(x)\ dx&=\sum_{i=-\infty}^\infty s\\
&=\left\{ \begin{array}{1}
\infty \ (s>0)\\
0 \ \ (s=0)
\end{array} \right.
\end{align}
花子「そんな確率密度関数は作れないというわけ.細かいことを言うと,さっきの条件を満たす関数 \(f(x)\) は確率を定義するタルモゴイフコルモゴロフの公理ってのを満たすことができないの.全ての自然数から同様に確からしく無作為に1つ選ぶ方法が存在しないことに似てるかな」
太郎「スッキリしたよ.もう来年からは迷わないぞ」

=== 2101.01.01 ===

花子「太郎くん.あなたにお年玉をあげましょう」
太郎「ヤッター!」
花子「どうぞ」
太郎「もう今年は1つしかポチ袋を用意してないんだね」
ゴソゴソ(太郎が袋を開ける音)
太郎「( \(5,000\) 円か......)」
花子「太郎くん,今年はね,他に \(1\) 億個のポチ袋を用意してあるの.1つのポチ袋にだけ \(5,000\) 兆円が入っていて,残りの袋には何も入ってないわ.今持ってる \(5,000\) 円を諦めるかわりにこの \(1\) 億個のポチ袋から \(1\) つだけ選んでもいいよ」
太郎「\(1\) 億個......」
花子「期待値は \(1\) 万倍よ.もちろんやるよね?」