2021.01.19 の日記:キョウザメの卵 THE FINAL

パラドックスのやつ.最終回.

ポチ袋に入れる金額を \(5,000\) 兆円にするかどうか1日迷った.マジで1日.1日中 \(5,000\) 兆円のことばかり考えていた.話の都合で非現実的に大きい金額を出す必要があるけど,どうしても \(5,000\) 兆円にはしたくなかった.\(5,000\) 兆円で話が落ちたと思われるのが嫌すぎた.\(5,000\) 兆円がのネタがつまらないとは言わないが,もうそこに裏切りの要素は残っていない.笑いは共感と裏切りの要素からできていて,基本的には,いかに共感させるか,あるいは,いかに共感を裏切るか,という形式になっている.裏切りと共感のどちらを好むかは人によってかなり違っていて,伝統的な関西のお笑いは共感に寄っているような気がしている.新喜劇とかで見る「お約束」が顕著な例だと思う.おそらく,(科学的な裏付けはないが),進化的には共感の笑いが起源で,裏切りの笑いは二次的に生まれたと思う.想定外の出来事が起こったときに笑うことに適応的な意味があるとは思えない程度の理由だが.適応的な意味がなくても集団内に定着することはあるが,共感の笑いは適応的な意味が絶対にあるのでそこから派生したと考えるほうが自然だと思う.閑話休題,裏切りのない共感の笑いはお手軽ではあるが興醒めになりやすい.裏切りの笑いはつまらないことはあっても興醒めにはなりにくい(なりにくいだけでめちゃくちゃつまらないと興醒めになるが).

スラングや使い古されたネタや流行の話とか,1つのネタに固執したりとか.

数日前の日記の冒頭で興醒めの例として挙げた4つも,どれも共感の要素が大きい(流行の話は笑いではない).裏切りは共通の認識からのズレを言うので選択肢が無数にあるし,そもそも共通の認識がズレていてもネタがそのどちらもズレていれば成立する.一方で共感の笑いは共通の認識を精度良く把握している必要があるし,その限られた共通の認識の中から適切な発言をしないといけないので,比較的難しい高度な笑いだと思う.日常会話の中でコミュニケーションとして用いるくらいなら簡単だけどエンターテインメントとして成立させるにはかなりセンスが必要だと思う.僕にはそのセンスがないので裏切りに逃げがち.上述の \(5,000\) 兆円は使い古されたスラング,すなわち典型的な共感の笑いなので僕はあまり使いたくなかった.本文の中頃だったならユーモアとしてではなく,アクセントとして入れて良かったかもしれないが,最後の最後のオチの部分なので,ここでの \(5,000\) 兆円は大きな意味を持ってしまう.しかし,\(5,000\) 兆円ではない別の大きな金額を採用すると,\(5,000\) 兆円がネタとして有名すぎるのでどうしても \(5,000\) 兆円の影がちらついてしまい,あえてそこからズラしたという不必要な意味を持ってしまう.でも,\(5,000\) 兆円ってめちゃくちゃ丁度いいんだよね.億だと個人的に手が届いてもいいくらいの金額だし,京だと金額の量として使われてなさ過ぎて,兆が現実味がない金額として丁度いい.その中でも \(5,000\) 兆円だと期待値が丁度 \(1\) 万倍になる.そもそものお年玉の金額の \(5,000\) 円もいろいろ考えて落ち着いた金額なので変えたくない.自分にしかわからないけど時間をかけて細かく積み上げたピースを,たかが \(5,000\) 兆円に引きずられて崩すのが嫌すぎて結果として \(5,000\) 兆円を採用した.歪んだ愛の逆だなコレ.歪んだ嫌悪.

考えすぎかな.

僕は何かしらの表現を双方向のやり取りの有無でコミュニケーションとエンターテインメントに分類しがちで,そういう意味で僕は基本的にはエンターテインメントをやりたい人間なので,日常生活でそのへんの互いの認識のズレがあると変な感じになりがち.僕は Twitter はエンターテインメントであってほしいんですけど,皆はどう?

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自分の文章を振り返るの,無限にできてしまう.数カ月後にキョウザメの卵を振り返る日記書いてたらヤダな.

パラドックスの記事を振り返るのは今日で終わりです.これがホントの今日醒め.