2021.04.23 の日記:てめえ何見とんねんコラとはならない

100の質問バトンの続き.


Q47.短髪が好き?長髪が好き?

高校生くらいまで一部の仲が良い人以外と目を見て話すことができなくて,というか目を見て話すという発想がなくて人を会話するときはずっと下とかを向いて話していた.具体的には忘れたけど何かきっかけがあって人と話すときは目を見た方が良いということを学び,それ以後は意識するようになった.まあ今でも意識するのを忘れて明後日の方向を向いてしゃべったりするけど.

この場合は高校生のときに偶然きっかけがあったから目を見て話すという発想を認識できたけど,たぶんそのきっかけがなかったら今も目を見て話すという発想がないまま生きていたかもしれない.人の目を見て話さないと相手がどこを見て話しているかわからないから,自分の行動が周りと違うのかどうかがわからず,偶発的な気づきや外部からの指摘が必要となる.そもそも相手がどこを見て話しているかがわかる状況であったとしても,それを「人が会話しているときは相手の目を見ている」と認識するためには飛躍した気づき (仮説検証的なことをやらないと気づけない気がする) が必要になる.ただ相手も目を見て話さない人間だったときは話が別で,相手が目を見て話さないことに違和感や不快感を感じることがきっかけになって,前の文で述べた仮説検証でいうところの仮説をたてることができる.僕はたぶん,もっと一般的な状況としてこういうときに違和感や不快感を感じにくいので,人間の一般的な行動がよく把握できないまま生きてきてしまった.「目を見て話す」くらいの常識的な行動で,他に僕が (もちろん無自覚で) できていない行動がたくさんあるんだろうな.

この年齢になっても何も自覚なく人に不快感を与える行動をしているような気がして嫌だな~~~ (前例があるので).不快感を与える行動をするよりはやったほうが良い行動をしないことで不快感を与える場合のほうが多そう.僕の周りの出来事ではなくて,世間一般の出来事として似た原因に由来すると思われる人間関係の問題をけっこう見るので,本当に今後気を付けないといけない.

逆に全くもって必要ないところで異常に気を使っている場合もある.他者の不快感の程度がわからないのでとりあえずめちゃくちゃ気を使っておけばいいだろうみたいなことも思ったりもするので.そのわりに気配りが必要な状況では,上述のように気配りが必要という意識が生じない.

僕,自分について考えるときに,メタ的な意味での客観視はできなくはないけど,他者の主観から見た自分という客観視はマジで全然できないな.なんか他者の主観の個人差を過大評価している気がする.たぶん人間の心理には僕が思っているより普遍性がある.