2021.05.24 の日記:牧野


これ面白い。いろいろな対称性で洗濯物を干す人間ども。僕は線対称に干している。

点対称の人がそこそこいて、この世界も捨てたもんじゃないなと思った。点対称は、重心が必ず中心に来るので全体のバランスを考えると最適解になる。ただ、靴下などのペアの洗濯物をそれぞれ正反対の位置に干すことになり、取り込みやすさが全体のバランスとトレードオフになっている。その点、線対称はペアの洗濯物を比較的取りやすいが、対称軸に沿った方向のバランスは保証されない。対称性がない場合は、ペアの洗濯物を隣接して干せるので最も取り込みやすいが、全ての方向でバランスが保証されない。このように、点対称・線対称・対称性なしはたぶん全てパレート最適な戦略となっていて、どの要素にどれだけ重きを置くかによって人々の戦略は分かれる。

特殊な条件を考えると、同じ靴下を2組づつ買ってペアとペアを点対称に干すことで、取りやすさとバランスの両方を満たす最適解となる。


深く考えずに「その他の対称性」を選択肢に入れたけど何かあるか?並進対称性?並進対称で干すことには何の合理性もないので、並進対称で干す人は本当に対称性が好きなんだろうな。いるのか知らないけど。

よくある長方形に洗濯バサミが並んでいるハンガーを想定していたけど、正方形とか円形のハンガーもあることを忘れていた。その場合は90°の回転対称性とかもある。

あともしかしたら洗濯物を3次元的に干している人がいたら、回反対称もありうる。回反対称で干す人は本物のクソオタク。

洗濯物の対称性で特定の結晶構造を再現している人いたりしない?


結晶学ちゃんと勉強しておけば良かったな。より広く考えると群論

日常生活でも研究でも直接は必要ないような学問をちゃんと勉強してこなかったことの後悔はわりと重い。何かきっかけがあって“必要のない”学問を「勉強しておけば良かったな」と思ってしまった時点で、その学問の勉強には目的が生じ、“必要のない”学問は既に“必要な”学問になってしまっている。もう既にそれを“必要のない”学問として勉強することはできない。悲しい。

群論やっておけばよかったな、義務教育で。


「義務教育の勉強は実際のこんな仕事や技術で使われています」というやつ、たまに話題になるけど、それを知って勉強したくなったり勉強の指針にしようとする人はたくさんいるだろうけど、一方でたぶん中学生とかの僕がそれを知ったらわりと興醒めに思ったかもしれない。義務教育の頃から目的を持って勉強できる人めちゃくちゃすごい。社会人かよ。

義務教育、本当に目的なく勉強できる場所であってほしいな。人間は成長したら目的のためにしか活動できなくなるので……


まあ実際の義務教育は世代を超えて資本主義を維持・再生産するためのシステムで、組織の一部としての個人行動の規範を学び、毎日連続的に目的のために活動する訓練をする場所として設計されているので、理想的な社会教育を考えると現在の教育システムはここで一度根本から破壊する必要が……。ハッ、すみません……社会教育論の講義を受けたときのストレスに耐えかねて誕生した2つめの人格が出てきてしまいました。

社会教育論、パノプティコンが出てきたことだけ覚えている。パノプティコンが好きなので。