2021.06.07 の日記:自分のバイクで走り出す 4 - あいさつの魔法

サイクリング (曖昧さ回避) の続き。


荒川河川敷の南端に到達した。日付も変わったのでもう帰ろうかと思ったけど、ここで先日日記に書いた内容を思い出した。

To Do リスト

(中略)

・ディズニーに行く

2021.05.17 の日記:←Done! - ぬるぬるバイオマット日記


林修


これまでに走ってきた距離に比べれば、ここからディズニーランドまでの距離は目と鼻の先。

「目と鼻の先」って目や鼻が触れるくらい近いところにあるみたいな意味合いだと思っていたけど、実際は目と鼻の間の距離くらい近いという意味らしい。あ~、「『目と鼻』の先」だと思ってたけど、「目と『鼻の先』(の間)」ってことか、たぶん。音の連なりとしてではなくて意味の連なりとして言語を理解するの楽しいな。

日常的に使う言葉ほど、言葉を意味の連なりとして認識する機会がない。特に顕著なのが挨拶で、「こんにちは」はいつでも使える挨拶としての一単語と認識するのが普通であり、「『今日』+『は』(+ご機嫌いかがでしょう)」という語源としての意味の連なりを意識することはない。もう既に意味の連なりが音の連なりから独立して消滅しかかっているから、「こんちゃす」とか「んちゃ」も崩れ省略された挨拶として成立する。

こういう言語の認識の仕方みたいなのを指すドンピシャの専門用語があるんだろうな、たぶん。知らないけど。

直接対面で人と会うことが少なくなって、挨拶の多くが「久しぶり」になっているけれど、もしこの状態が何十年も続いたら音が崩れてより汎用的な挨拶に変化するのだろうか。歌舞伎の業界で使われていた「お早くございますね」が汎用的な「おはよう」に変化したように。そうであれば、「お久しぶりでございますね」が「お久しぶりゅ~」に変化する可能性もある。さらに変化が進めば「ぶりゅ~」が挨拶になることも十分考えられる。


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たのしいなかまが


まあ冷静に考えると「お久しゅう」になるが。


さて、ディズニー行くぞ~。ここから直線距離で5kmないくらいなので理論的には30分もあれば行って帰ってこれる。さらに自宅からここまで大回りで1時間半くらいだったので、僕の完璧な計算によれば2時間後には帰宅できそうだ (できなかった)。


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00:09。荒川を渡るために少し戻る。写真の橋を通って渡ろう。

ディズニー行くぞ~とか言っているけど実際には葛藤があって、この写真を撮った時には「まだ引き返せるな」「早く帰って寝たいな」とか思っていた。


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00:20。もう引き返せない。いや引き返そうと思えば引き返せるけどこんな何もない地点で折り返すのも無粋なので、折り返し地点として相応しいところにたどり着くまでは精神的に引き返せない。もう誰も僕を止められない、折り返し地点以外は。

早く帰って寝たい。