の続き。
荒川を渡ってディズニーランドを目指す。広義の放課後ディズニー。
00:35。
荒川を渡り終えた後は狭く入り組んだ道をクネクネと進み、15分かけてやっと旧江戸川を渡る舞浜大橋まで辿り着き、この先についにディズニーランドが見えてくるぞと己を奮わせて橋の上を進んでいたところで違和感を感じてGPSを確認したら15分前に通った橋を逆向きに進んでいた。東に向かって進んでいたと思ったらいつのまにか西に向かっていた。どういうこと?右左折を繰り返してなんとなく東に向かっているつもりだったので、多少は方向がズレていることは承知だったけど180°もズレるか?
発覚したときはわけがわからなくてわりと怖かった。未知のものへの恐怖というよりは、東へ向かっていた自分と西に向かっている今の自分を繋ぐ合理的な説明ができず、過去と現在の連続性が脅かされる恐怖。酒で記憶を無くしたときの感覚に近い。
意識も肉体も連続性は重要じゃないと思ってるので早く電人HALになりたい
— a (@a151595) 2020年7月24日
以前の僕はこういうことを言っていたけど、心の準備なくいきなり連続性が怪しくなると普通に怖い。あのとき東に向かっていた自分もまだ存在していて、未だに東に進み続けている。そして僕はオリジナルではない。
地図上の緑色の線はスマホのGPSを元にGoogleが復元した当時の経路だけど、文字通り迷走しているのがわかると思う。実際はさらに迷走している。
僕もしかして方向音痴なのか?認めたくないけど。
ディズニーランドまで行くつもりだったけど、都合良いことにいつの間にか逆向きに進んでいたのでこのまま帰ろうかな。
00:59。ついにここまで来た。橋を渡ったらすぐである。実際は自転車来園者向けの案内が全然ないうえに道がそこそこ複雑なので、すぐとは言ってもカップラーメンが3つ以上作れるくらいの時間はかかる。お湯を入れてすぐ食べられるタイプのスープなら理論上は無限に作れる。
お湯を入れてすぐ食べられるタイプのスープを10分の間に無限個作り続けている人を想像しよう。ある1つのスープを作っている瞬間を考えるとその間に時間は流れないはずである。すなわち、いくつスープ作ってもその間に時間は流れないはずであるが、実際はスープを無限に作り続ける間に時間は流れていくという矛盾が生じる。よって、お湯を入れてすぐ食べられるタイプのスープはお湯を入れてすぐには食べられないことが結論づけられる。
これはお湯を入れてすぐ食べられるタイプのスープのパラドックスと呼ばれ、古代ギリシアのゼノンによって提示されたパラドックスである。アリストテレスはこれに対し「お湯を入れてすぐには熱くて飲めないよね」とコメントを残している。