2021.06.09 の日記:自分のバイクで走り出す 6 - ポップコーンのことが世界一大好き

続き。サイクリングの引き出しが尽きた。


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01:09。着いた。当然営業時間外だが。外界と園内を繋ぐゲートまでは行けるのかなと思っていたけど、はるか手前の駐輪場にすら入れなかった。

人は誰もいないし、音すら何も聞こえないけど、ゲートから退園して舞浜駅に戻るときの雰囲気をなんとなく感じる。非日常から日常へ帰るときの喪失感のような感覚。喪失するものがないのに喪失感だけがあるの面白いな。

ゲート近くまで行けるならいろいろ見れるものがあるのだけど、そうではないのでひたすら雰囲気だけ堪能してから帰る。

コンビニでチュロスを買ってきて食べようかとも思ったけど、途中で我に返ることを恐れてやめておいた。

チュロスって今はコンビニでもミスドでも売っているけど、ホンモノのチュロスはディズニーのものという認識がある。マジカルバナナ、チュロスといったら他の追随を許さずディズニー、である。まあ別にディズニーがオリジナルというわけでは全くないけど、2000年初頭に長野県民がチュロスを食べる機会があるならそれはたま~に行くディズニー以外になかったのでそういう認識になったのだろう。チュロスはディズニーでしか食べられない特別な食べ物。これどこまで共通認識なんだ。

調べたらミスドチュロスが売られ始めたの1990年らしい (出典)。マジで?僕が生まれる前からめちゃくちゃ売ってるじゃん、チュロス。長野のミスドで見た記憶はないが……。


あとディズニーといえばポップコーンだけど、あんまり好きじゃないんだよな。森羅万象を好きと嫌いに分類したらポップコーンは好きの方に分類されはするけど、好きの中ではかなり下位になる。好きというより嫌いな要素があまりないだけな気がする。好きな要素もないが。目の前に出されたら美味しく食べるけど、無の状態からポップコーンを食べたくなったことが人生で一度もないかもしれない。ポップコーンを食べることでしか満たされない欲求は存在しない。映画館に行っても僕はポップコーンは買わない。だいたいフライドポテトを買う。人と行ってシェアする場合は別だけど。

なんかポップコーンをめちゃくちゃ否定してるみたいだな。ポップコーンなんか美味しいと思ってる人わけわかんない!みたいな。いや、僕はポップコーンを美味しいと思っている人のことを完全に理解しています。あなた自身より理解しています。僕がポップコーンを美味しいと思わないからこそ、あなたには見えない視点からあなたを客観的に理解しています。共感はできませんが、完全に理解しています。あなたは自分がなぜポップコーンを美味しいと思うか真剣に考えたことがありますか?他の食べ物と比べてどこが優れていて、そしてどこが劣っているかも理解していますか?それらを全て理解したうえで、もしあなたがポップコーンのことを美味しいと感じなかったとしても受け止めることができますか?

私はあなたよりポップコーンのことを考えています。朝起きてから寝るまで、食事をとっているときも湯船に浸かっているときも、いつでもポップコーンのことを考えています。私はポップコーンを美味しいとは思いませんが、ポップコーンのことを理解しようと努めています。あなたにポップコーンは相応しくありません。手を引いてくれませんか。何も言わずに、ポップコーンの元から、去ってくれませんか。ポップコーンの本当の幸せを望むのならば、そうしてくれませんか。もちろん私も相応しくありません。あなたよりも相応しくないかもしれません。しかし、少なくともあなたよりポップコーンに相応しい人がいるはずです。ポップコーンは幸せになるべきです。もしあなたに本当にポップコーンを思う気持ちがあるのならば、最後にポップコーンのことを理解しようとしてください。理解できないのであればあなたは身を引くべきですし、理解できたのであれば身を引くべきだということが理解できたかと思います。それでは聡明な行動を期待しております。


ポップコーン、幸せになってね……ずっと見守ってるよ……