2021.06.23 の日記:火星LOVER

レイ・ブラッドベリ『太陽の黄金の林檎』の感想の続き。

昨日の日記を読み返したけど、酷いな。今日はマトモな文章を書こう。

このまま1日1話ずつ感想を書いていくと3週間くらい同じ本の感想を書き続けることになるな。まあそれもいいけど短めを意識して書くか。


3話目『荒野』

結婚するために男の勤務地である火星に移住しようとする女たちの移住前夜を描いた話。

文明は発展しても変わらない人間の本質的な心情や行動を描写しており、『散歩者』の対極にある話と言えそうである。まあさらに言ってしまえばほとんどドリカムの大阪LOVERである (ちょっと違うか)。

僕の人生経験が薄いせいで大した感想が出てこない。まあそうか~と思うだけである。


4話目『鉢の底の果物』

殺人の証拠を消そうと必死になって指紋を拭き取り続ける話。

僕にはこういう強迫性障害みたいな心理と行動はないので (ないよね?) ほのかにユーモラスな話として読んでいたけど、そういう強迫観念や強迫行動が日常である人がこれを読んだらけっこう怖いサスペンスのような話として捉えるのではないだろうか。ユーモラスな話だと僕が感想を言うのをそういう人が聞いたら嫌悪感を抱かれそうだな。『四月の魔女』の感想のときとは逆の立場になってしまった。お祓いをお願いいたします……

とは言いつつユーモアとしてもサスペンスとしてもわりと好きな話である。

登場する人物が全員異常な物語、マンガでも小説でも読んでいてすごく安心するのでこの話も安心して読んでいた。創作でも現実でも正常過ぎる人間はむしろ異常なので正常過ぎる人間を見ると有ってはいけないものを見たような落ち着かなさを感じる。現実の人間は全員異常だし、創作物の人間も全員異常であるべきである、正常さをテーマにしている場合を除いて。人間の異常さは人間の魅力そのものであり異常さを理解することは人間を理解することである。人間の異常さを描くことで人間そのものを誠実に描くことができ、人間の異常さが描かれている作品にはそういった意味で信頼感がある。この話もそういう作品である。


レイ・ブラッドベリ、今現在読み進めているけど読むタイミングかなり良かったな。ちょうど良い程度に話を咀嚼できるような精神年齢で読めている。高校のときに読んでも良さがあまりわからなかったと思う。なんなら大学学部のときに読んでも同じかもしれない。なんかインターネット上をテキトーに調べると中学生で星新一を経て読み始める人が多いと書いてあったけどマジか。世間の人々、感受性の発達が早すぎないか。中学生の僕がレイ・ブラッドベリ読んでも何も楽しくないと思うが。星新一は文学というか純粋にアイデアを吸収するという意味で世代を選ばずに好まれていると思うけど、レイ・ブラッドベリは少なくともこの短編集を読む限りだとオチのアイデアよりは大枠の舞台設定の巧みさ (僕はここが好き) と情景描写の美しさを楽しむ文章であって感受性や人生経験がないと深く楽しめないような気がする。もしかして僕以外の全人類は今も僕の感覚のいくつか高次のレイヤーから世界を見ているんですか?嫌すぎる。

僕以外の人間が僕の思考をメタ的に把握しないでくれ~~~。まあそれなら日記なんて書くなよという話になるのだが。

(続く)