2021.09.02 の日記:You China指差しちゃいなYo!

(昨日の日記の続き)

自転車に乗ってデカイ本屋に行くぜ。

家を出て本郷通りを南下し、御茶ノ水を通過してさらに進むと皇居の東側に出るので、そこから東に向かえば東京駅に着く。家↔本郷、本郷↔御茶ノ水御茶ノ水↔東京のそれぞれ区間は徒歩や自転車で通ったことがあったので全然知らない道を開拓したということはないのだが、家から東京まで電車以外で直接行くのは初めてだった。普段の生活で身につけた駅や街の間の比較的ローカルな位置関係の知識をつなぎ合わせて頭の中で1つの座標平面にプロットすることで作った広域の地図の答え合わせをする感覚で自転車を漕いでいった。電車の路線図のように位置関係を抽象化してノードとエッジで表すような地図も好きだけど、それはそれとしていわゆる地図のような全体の中での座標が決まっている地図の感覚は最低限持っておきたいという気持ちがある。これは街とか駅の間の位置関係だけの話ではなくて、駅内部を移動してホニャララ線からブラブラ線に乗り換えるときに、自分を基準にした相対的な座標でルートを覚えるのではなく駅構内全体を見たときにどこを通っているかを意識したいという気持ちもあるし、一般的に言うと常に自分が全体の中のどこにいてどの方向を向いているかを意識していたい。

絶対座標の感覚、2種類あると感じている。1つは観念的な地図の中で自分がどこにいてどこを向いているかの感覚で、もう1つは自分が目で見ている光景の中にあらゆる空間スケールの絶対座標の地図を常に重ね続ける感覚。2つめは超グローバルな相対座標と呼んだほうが正確かもしれない。僕の最終的な目標としては2つめの感覚を身につけることだけど、いきなりは無理なのでまずは1つめの感覚を身に着けて、機会があったら2つめの感覚を捉えようと普段から意識している。前の段落で書いた「普段の生活で身につけた駅や街の間の比較的ローカルな位置関係の知識をつなぎ合わせて頭の中で1つの座標平面にプロットすること」が1つめの感覚に、「プロットすることで作った広域の地図の答え合わせをする感覚」が2つめの感覚にだいたい対応する。例えば1つめの感覚があると、東京駅を指差せと言われたときに、地図上で自分が向いてる方角と東京の方角がわかるのでその角度の差分を考えれば現在の自分から見た東京の方角を指差すことができる。一方で2つめの感覚があれば、重ねた地図の中の東京の方角がダイレクトにわかるのでノータイムで指差すことができる。

世界中の国や都市の位置を球面上の位置として把握していて、ニューヨークに向かう3次元的な方向を指差せと言われてノータイムで (例えば) 右前斜め下を指差すことができる人っているんだろうか。スケール感も必要なのでこれはかなり難しい。僕も最終的にはそうなりたい。

デカイ本屋!

(続く)