2021.09.08 の日記:You 雰囲気で全部否定しちゃいなYo!

(昨日の日記の続き)

デカイ本屋で立ち読みをした。

『確率パズルの迷宮』

数年前に生協の書籍部で見かけてずっと買おうとしていた本。本屋に行くたびにそういう本をちらっと見ては満足して帰るということをずっとやっている。今回は、もう既に買ったけどまだ読んでない本だと勘違いしていて、帰宅してから本棚を漁ったけど見つからず、じゃあ実家に送ったんだと判断して帰省して実家の本棚を漁ったがやはり見つからず、じゃあ買ってなかったのか……と自分の記憶の曖昧が怖くなった。こういうことがないようにわずかでも欲しい本は即刻すべて買ってほうがいい。そうすれば記憶は曖昧だとしても勘違いはなくなる。根本的な問題は解決しないが。

店内で手にとってちょうど開いたページに、自然数から無作為に同様に確からしく1つ選ぶことは可能かどうかについて書かれていた。

花子「そんな確率密度関数は作れないというわけ.細かいことを言うと,さっきの条件を満たす関数 f(x) は確率を定義するタルモゴイフコルモゴロフの公理ってのを満たすことができないの.全ての自然数から同様に確からしく無作為に1つ選ぶ方法が存在しないことに似てるかな」

2つの封筒のパラドックス - ぬるぬるバイオマット日記

2つの封筒のパラドックスの記事の最後にちょっとだけ触れた問題。

この本では不可能 (正確に言うと、可能になるような確率を定義することはできる (たぶん) けど、不可能にするほうが自然で現在一般的に使われている定義になる) と説明されていたが、詳しい理由は省略されていた。

2つの封筒のパラドックスの記事を書いたときに文献や個人ブログをいろいろと調べたが、そのいくつかに無作為に選ぶのが不可能な理由が説明されているのが見つかり、そう言うならまあたぶんそうなんだろうなというくらいの理解しかできなかった。証明の流れや数式はなんとなく追うことができたけど、それで本当に証明になっているのか確信を持って判断できない。

同じような感覚としては、カントール対角線論法 (Wiki) も微妙に納得できていない。言っていることはわかるし、なるほどとは思うけどそれで本当に証明になっているのか確信が持てない。もちろん絶対正しいとは思うけど実感として絶対正しいと思えない。反証できそうな隙を感じてしまう。そんなものはないが。仮に対角線論法を僕が思いついていたとしても、間違うのが怖くて公表できない。

ただし、対角線論法はまず間違いなく正しいのに対して、自然数から無作為に同様に確からしく1つ選ぶことはできないという命題の証明については、個人ブログで見つかるような証明のある程度は本当に間違っているような雰囲気がある (正しかったらごめんなさい)。雰囲気とか言っている時点でこういうことを言う資格はないのだが、でも間違っている気がする。

Wikipediaとか個人ブログ読んで理解しようとするの止めて、ちゃんとした人が書いた文献を読んで体系的に勉強してから、なんとなく間違っている気がするWeb上の記述を評価しよう。

(続く)