2021.09.16 の日記:絶望は 絶望で 絶望だから 絶望

(昨日の続き)

少女終末旅行の話をします。

印象に残った話の感想。

2巻 9話「写真」(アニメ第4話前半)

神の目をしたチトが好き (全人類が好きなので情報量がゼロ)。


昨日の日記の日記、もとい、昨日の日記で言及したチトの日記の話に引き続き、記録を残すことについての話である。記録を残すっていいなと思う。たとえ残した記録がその後何からも参照されないとしても、記録を残すという行為自体がその場その時に特別な意味を与える感覚があって記録を残したりもしている。あるいは、ただ情報として残るということが嬉しかったりする。

一方で、対極の感覚も併存していて、敢えて記録を残さないこともここ数年で意識するようになった。あくまで自分だけのための個人的な体験はその時だけの刹那的なものであってほしくて、記録を残すにしても体験を再現できないように断片的な情報だけを残すようにしている。アクションカメラみたいな体験を時間連続的にそのまま保存するものは扱いが難しい。とりあえず撮影した後に、そのまま全部のデータを保存したくはないので記録に残す部分を選別しようとするけどそれがめちゃくちゃ手間で、こんなことなら撮影しなきゃよかったなと思ったりもする。記録なんて 生きるジャマだぜ。

これアレか?昨日わからないって言った感覚に近づいてる?


2巻 13話「雨音」(アニメ第5話後半)

音についての話なので、これはアニメがあって良かったなあと思った。特殊ED前後の流れも好きで何回か見返したりしている。


2巻 14-16話「故障」「技術」「離陸」(アニメ第6話)

絶望の話。「絶望と仲良く」なる感覚は「いい人生だった」感覚の重要なファクターの1つである。

いい人生だったと感じて生きていきたいので、常日頃から絶望と仲良くしておきたい。でも、絶望と仲良くなるためには心の持ちようだけではなくて神経伝達物質の分泌状況をいい感じにしないといけなかったりするので、場合によってはどうしようもない。絶望と仲良くなるために普段から精神的に健康で生きていく必要があるのは皮肉である。

サムネ用


(続く、続く)