(昨日の続き)
少女終末旅行の話をします。
印象に残った話の感想。これで最後。
6巻 44話「喪失」
ここから最終話までずっと悲壮感のある話が続くけど、この話が圧倒的に悲しすぎる。
最後のコマの、確実に終わりに向かってる感が悲しい。
6巻 45話「睡眠」
銃を投げ捨てた直後の、チトが横目でユーリを見るコマ。すごい。
前の話に引き続き、物がなくなっていく描写は悲しい。自覚なかったけど僕はこういうのが心にキやすい気がする。物へのこだわり。
6巻 46話「沈黙」
この話も含めて最終話付近のユーリの言動が好き。頼りになる。でもここまで来るまでの長い道程を考えると、理性的なチトがいなかったらもっとずっと早い段階で旅が行き詰まっていただろうし、2人でバランスをとってここまで旅を肯定的に続けてきたのだろう。チトだけでもここまで来れたかもしれないけど、振り返ったときに旅を肯定できなかったかもしれない。僕も心の中のチトとユーリ2人の性質をバランスさせていけたらいいけど、現状チト成分が弱くて行き詰まっている。僕も最上層まで辿り着きたい。
6巻 47話 (最終話)「終末」
いい人生だった。感想を書くならこの言葉しかない。
過去を肯定するだけではなく、過去の累積としての今を肯定して未来がどうなろうと今日を明日を生きていく糧とする。これはもういい人生だったすぎる。
6巻あとがき
してみむとしてしようかな、男もすなる考察といふものを。
6巻のあとがきは麦畑で周囲を見渡しているチトとユーリのイラストである。麦というと本編で唯一連想されるのは20話でビールがで出てきたことで、そこではビールに月光が溶け込んでいるようだと形容されており、それが20話の主題となっている。そして、チトが「いつかずーっと高くまで登ってさ・・・ 月に行こうよ」と発言している。また、アニメ最終話ラストのアニオリの追加シーンで今度はユーリが「一番上に行ったらさ そしたらその次は月に行こうよ」と発言している。つまりまとめると、あとがきで描かれた麦畑はビールの源である月の風景と同一視することができ、最終話の後に目指すべき場所としての月に2人が辿り着いた場面と解釈することができる。
ここで一旦落ち着いて、あとがきに描かれた麦をよく見てみると、穂の形からして大麦ではなく小麦である。ビールの原料ではない。
さらに落ち着いて、最終話が書かれた頃の作者Twitterを見てみると、麦畑が特に具体的な理由はなくなんとなく好ましい場所として扱われているような雰囲気のツイートが散見される。
もっと落ち着いて、同作者の次回作の『シメジ シミュレーション』を見てみると、麦畑が広がる町が舞台になっているがそれだけであり、やはり麦畑にメタファーとしての具体的な意味はなく、作者がなんとなく気に入っている場所として書かれていると解釈するのが普通である。
いや、白ビールなら小麦が原料だし、ケッテンクラートがドイツのものであることを考えると白ビールだとして不自然ではないから……。
アンソロジー 1巻「映画」
「今しかほしくない・・・」
それすぎる。
それじゃダメなんだけどさあ。
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この年まで成長して、ひとつの作品を何回を読み直すということをほとんどしなくなったけど、少女終末旅行は何度も読み返している。感想を書きながらさらに何回も読み直した。
刺さり度で言ったら今まで読んだ漫画の中で一番上かもしれない。刺さりまくっている。
しばらくはチトとユーリのことだけを考えて生きていきます。
(おわり)