少女終末旅行感想まとめ

少女終末旅行』のアニメを見て、漫画も読んだ。

2人の少女チトとユーリが荒廃した終末世界を旅する話。ジャンルとしては……なんだろう。舞台設定的にはSFだけど、SF的な面白さは半分くらいで、残りは日常系の面白さかもしれない。一般化された日常系。SFで日常系をやることで、場所や状況に依らない人間の普遍的なところが浮き出てきてとても良い。

まあジャンルなんてものはどうでもいいかもしれない。カテゴライズによって見えなくなってしまうものもあるので。


少女終末旅行の存在は、2018年に漫画が完結したときに知って、それからずっと気になっていた。気になっていたなら早く読めという思うかもしれないがそういうものではない (こういうこと言うの何回目だ (こういうこと言うの何回目だ))。というか普通に存在を忘れていた。

完全に存在を忘れていたわけだけど、ひょんなことから思い出した。最近音楽を聞くときはSpotifyを使っている (こともある) のだけど、誰かが作ったアニソンのプレイリストを聞いていたら好みの曲が流れてきたので調べたら少女終末旅行のOPテーマだった (正確に書くとOPテーマのピアノアレンジ)。そういやそんな漫画あったな~と思って調べていたらこれは見るしかないだろという気持ちになってきたので見ることにした。「見るしかないだろという気持ちになってきたので見ることにした」←文章下手すぎか?←言うほどそうか?

最初は漫画だけよもうかなと思っていたけど、OPテーマ良かったし、アニメと漫画の両方を見る/読むことにした。


結論から言うと、めちゃくちゃ良かったという言葉では表せないくらいには良かった。人生に影響するレベルで良かった。良かったすぎる。


アニメを見終わった後すぐに漫画全巻を買って読んだ。全6巻で、そのうち1-4巻の内容がアニメになっている。紙と電子どちらを買おうかちょっと迷ったけど、紙の本を買った。電子書籍はサービスが終了しない限りおそらく今後いつでも買えるけど、紙の本は容易く絶版になるのでとりあえず紙の本を買っておくのがベターである。あと少女終末旅行は表紙カバーの質感がサラサラして気持ちいいので、それもあって紙がオススメです。

漫画を読み終わった上で判断して、アニメも漫画もどちらも良かった。僕は基本的に原作至上主義なので、漫画原作のアニメを見ても原作の雰囲気が表れていなくて幻滅してしまいがちだけど、少女終末旅行の漫画とアニメは同じものをそれぞれ別のやり方で表現している感じがあって、両方見る価値があったなと思う。

音楽が良かったのも大きい。OPテーマもEDテーマも劇中曲も良かった。あらゆるサブスクサービスで配信されていなかったので単体で買ってしまうくらいには良かった。音楽単体で買ったのいつ以来だろう。

DVDあるいはブルーレイの初回限定盤にOPテーマとEDテーマの別バージョンが収録されているらしいので、売ってないかメルカリとかヤフオクとかを探したけど、さすがに4年以上前のアニメなので発見できず。まあそもそも音楽数曲のために数万円を払う覚悟はないので、売ってたところで、という感じではある。誰か持ってないですか?


実際にアニメを見て漫画を読んだのはちょっと前の話で、2022年の暮れであった。2022年は、漫画は『少女終末旅行』『チェンソーマン』『BEASTARS』、ゲームは『ゼルダBotW』『クロノ・トリガー』『ドキドキ文芸部!』など、一生忘れないであろう作品に多く触れることができていい年だった。少女終末旅行はその中でも特に良かった。読むタイミングも良かったかもしれない。いい作品にはいつ触れても何かしら得るものがあるのはもちろんだけど、成長に伴って感受性が変化していく中で、すぐ飲み込める要素と咀嚼が必要な要素とまだわからなくて消化できない要素がちょうどいいバランスになっているタイミングでその作品に触れると体験が最適化される感じがある (英文読解の難易度の選び方だなコレ。1割の単語がわからない英文を読むと読解力がつきやすいとかいうアレ)。まあ敢えて (敢えてじゃなくてもいいけど) 最適なタイミングからずらした体験にもそれ特有の作品外のメタ的な良さが生じるので、そのメタ的な良さのバランスもあって、何が本当に最適かというのはかなり難しいけど。

2023年もできるだけいろいろな作品に触れていきたい。


なんか〆っぽくなってしまったけどまだ続きます。


まとまった体系的な感想を書くのが面倒なので、特に印象に残っている話の感想をそれぞれ各論的に書く。

是非ね、読んだことない人は漫画を買って読んでから感想をね、読むなりアレするなりしてくれるとね、ちょっと楽しいんじゃないかとね、思うわけですが。アニメでももちろんいいわけですが。まあ僕の感想なんてどうでもよくて、単純に素晴らしい作品なので是非ね。それとも僕が知らないだけで皆もう既に読んでた?なんで教えてくれないの???ねえ!!!


1巻 2話「戦争」 (アニメ第1話後半)

食料を勝手に食べたユーリをチトがガチ殴り (と書くと言い過ぎかもしれないが) していたのが印象的だった。殴る効果音「ゴッ ゴッ」って。

アニメでは1話のBパート。Aパートを見終わった段階だとふ~んという感想だったけど、このシーンを見て良いな~という感想に変わった。よくあるアニメだと、こういう怒って殴るシーンって大抵はギャグシーンになる印象がある。少女終末旅行の場合は、コミカルではあるけど100%ギャグシーンというわけではなく感情の本気さが表れていて良かった。そりゃこういう状況で食料食われたらギャグにはならんよな、と。なってるけど。

このシーンの直前にユーリがチトに実銃の銃口を向けて威嚇する場面がある。漫画だとちゃんと人差し指を伸ばして引き金には指をかけないようにしていて、真面目に倫理観を持って冗談をやっている描写になっている (倫理観と書いたけど、そうではなくて目の前のチトに対する優しさか。ユーリに倫理観はないので。というか2人しかいない世界に倫理もなにも意味はなさそう。漫画を書く際の作者の倫理観の話とごっちゃになってしまった。今は作品内部の話をしている)。

しかしアニメだと引き金にしっかり指をかけていて危ない。ユーリはそんなことしない (最初の1回はやりそうだけど指摘されたらもうやらなそう)。この点だけはアニメ版はいただけないなと思った。まあこれはこの日記を書くためにざっと漫画とアニメを見直して初めて気づいた違いなので、わりとどうでもいい。


1巻 4話「日記」(アニメ第2話中盤)

少女終末旅行はチトとユーリを対比させる描写が多い。理性的で過去と未来を考えて行動するチトと、本能的で現在だけを感じて行動するユーリ。人は誰でもチトとユーリ2人両方の性質を持っていて、それらをうまく拮抗あるいは共存させながら日々を生きている。

この話では過去の情報を日記として記録して知識を蓄積させるチトと、「記憶なんて 生きるジャマだぜ」と過去の情報を文字として残すことに価値を感じないユーリがはっきり対比されている (ような気がする)。前の段落で、人は誰でもチトとユーリどちらの性質も持っていると書いたけど、正直この話についてはユーリ側の感覚がよくわかっていない。この話だけではなくて、後に何回か記憶や忘却がテーマの話があって、忘却は救済であるというようなことも書かれている。何度も書かれているテーマなので、おそらく作者にとって重要な感覚だと思うけど、僕はまだ理解できていない。10年後とかに読み返したらわかるようになってるかな。


この話ではユーリがチトの貴重な本を誤って燃やしてしまうわけだけど、自分には価値がわからないけど人が大切にしているものをダメにしてしまうという状況での、やってしまった側の気持ちを考えるのが辛すぎて、めっちゃ嫌だな~と思って見ていた。免許更新の講習ビデオを見ているときの気持ち (書いてて思ったけどこの喩えダメだわ。他人の命の価値がわからないと言っているようなものなので)。

その後に、ユーリがチトの日記にこっそり謝罪の落書きを残すわけだけど、謝罪としてその行動を選択するのマジかよという気持ちである。ガチ謝罪って難しいので口頭ではなく文章でやりたいという気持ちはわかるけど、本の大切さがよくわかっていなくてこういう状況になっているのに (まあ故意ではないけど)、価値をよくわかっていない日記というやつに勝手に落書きをして謝罪とするの危うすぎないか。この描写、作者はどういうつもりで書いたのだろうか。いい話として書いたのかユーリをヤバい奴として書いたのか。アニメだと謝罪の落書きを見たチトが笑顔を見せたのでいい話として描いていることがわかるけど、原作だとチトの表情が見えないので感情がよくわからない。(そもそも、原作だとチトが笑顔になる描写は片手で数えるくらいしかない)

まあこれは僕の認識がかなり歪んでいるせいで、正常に判断できていないような気がする。僕は人の寛容さを信じていないので、いつも人の地雷を踏まないがビクビクしながら暮らしている。人の拘りは多種多様なので、人がどこに怒りや不快感を感じるか全く予想できない。でもたぶん、実際にはマトモな人間は僕が思っているよりもずっとはるかに寛容である。予想できない独特の拘りを持っている場合も、人が予想できない故に地雷を踏まれる頻度が高いので、それはそういうものとして不適切な言動に対する寛容さを獲得している可能性が高い。地雷を踏まないことよりも、地雷を踏むつもりで伝えたいように伝えることのほうがよりマトモな行動なのかもしれない。なんか青春アニメみたいな結論になってしまった (傷つく/傷つけることを恐れていたら何もできないんだ!みたいなヤツ)。

まあ、地雷原 (と思いこんでいる場所) から移動できずに座り込んでただ死を待つのもそれはそれでいい生き方だと思う (マトモではないかもしれないけど)。僕はそうやってゆるやかに死んでいく。


2巻 9話「写真」(アニメ第4話前半)

神の目をしたチトが好き (全人類が好きなので情報量がゼロ)。


上で言及したチトの日記の話に引き続き、記録を残すことについての話である。記録を残すっていいなと思う。たとえ残した記録がその後何からも参照されないとしても、記録を残すという行為自体がその場その時に特別な意味を与える感覚があって記録を残したりもしている。あるいは、ただ情報として残るということが嬉しかったりする。

一方で、対極の感覚も併存していて、敢えて記録を残さないこともここ数年で意識するようになった。あくまで自分だけのための個人的な体験はその時だけの刹那的なものであってほしくて、記録を残すにしても体験を再現できないように断片的な情報だけを残すようにしている。アクションカメラみたいな体験を時間連続的にそのまま保存するものは扱いが難しい。とりあえず撮影した後に、そのまま全部のデータを保存したくはないので記録に残す部分を選別しようとするけどそれがめちゃくちゃ手間で、こんなことなら撮影しなきゃよかったなと思ったりもする。記録なんて 生きるジャマだぜ。

これアレか?昨日わからないって言った感覚に近づいてる?


2巻 13話「雨音」(アニメ第5話後半)

音についての話なので、これはアニメがあって良かったなあと思った。特殊ED前後の流れも好きで何回か見返したりしている。


2巻 14-16話「故障」「技術」「離陸」(アニメ第6話)

絶望の話。「絶望と仲良く」なる感覚は「いい人生だった」感覚の重要なファクターの1つである。

いい人生だったと感じて生きていきたいので、常日頃から絶望と仲良くしておきたい。でも、絶望と仲良くなるためには心の持ちようだけではなくて神経伝達物質の分泌状況をいい感じにしないといけなかったりするので、場合によってはどうしようもない。絶望と仲良くなるために普段から精神的に健康で生きていく必要があるのは皮肉である。


3巻 20話「月光」(アニメ第8話後半)

最も好きな話のひとつ。アニメになった話の中では一番好き。みんな好きな話だと思う。アニメの特殊EDが好き。特殊EDの時点で無条件に良いけどその中でも特に良い。

人生を賭けた旅の途中、満月の夜空の下、降り積もった雪の上、世界に2人だけで我を忘れるまで飲酒する。これよりも幸せな体験はちょっと想像できそうにない。要素が全部好き。いいな~……。

まず、旅先というのが良い。この漫画の前提として全編が旅なので、その中で特にこの回が良いというわけではないけど。日常から離れて、知らない土地で頼れるものもなく、今立っている場所の心許なさを感じて「気づけばこんなところまで来てしまった」とか思いながら、今まで知らなかったものを刹那的に体験したい。

次に、夜空の下というのが良い。夜も良いし、屋外も良い。考えてみたら屋外で酒飲んだことってほとんどないかもしれない。あるっちゃあるけどかなり少ない。できればテラス席とかそういうのじゃなくて自然感の強いところがいいな。森の中とか夜の砂浜とかでしんみり酒飲みたい。森の中とか夜の砂浜とかでしんみり酒飲みたい!森の中とか夜の砂浜とかでしんみり酒飲みメイツを募集しています!!

さらに、雪も良い。雪が音を吸収して自分以外の音が聞こえなくなるのが良いし、視覚的にも全部真っ白で均一になるのも良い。またさらでも、いと寒きに、火など急ぎおこして、炭もて渡るもいとつきづきし。昼になりて、ぬるくゆるびもていけば、火桶の火も白き灰がちになりてワロス

そして、飲酒が良いのは当然なのだけど、何かから逃げたり何かを求めたりするような飲酒ではなく、今を噛みしめるような飲酒なのが良い。そういう飲酒をしたい。そういう飲酒をしたい!そういう飲酒メイツを募集しています!!

人と会うことが少ない生活をしているので、たまに人と飲酒をすると近況報告とかが話題を占めてしまう。近況報告が終わってもそこから派生できる話題は限られていて、思い出話とか仕事関連とかの話になってしまう。それはそれで楽しいけど、もっと何の情報も得られないような刹那的なことをやってもいい。それこそ手を取り合ってダンスするとか。まあダンスはやらないけど、泥酔しながら朝まで絵しりとりとかやりたい。泥酔しながら朝まで絵しりとりとかやりたい!泥酔しながら朝まで絵しりとりメイツを募集しています!!

話題が近況報告になるのは会話力がないからという説がまことしやかに囁かれていたりもするけど、それは陰謀論なので信用しないように。


この話、珍しくチトがしっかり笑っている。あー。こういうのに弱い。あー。


3巻 27話「螺旋」(アニメ第8話中盤)

作者は螺旋になにかしらのこだわりがありそう。作者Twitterをさかのぼって見てみると貝や螺旋についてのツイートがちらほら見られ、巻貝やオウムガイ、アンモナイトを描いたイラストも数点見つかる。なんだか嬉しいね。


ルパン三世みたいなシーンのところ、漫画の「アクセルを踏み続けて・・・!!」という台詞に違和感がある。大ゴマだったのもあってやけに印象に残っている。助詞の「を」がないほうが自然な気がする。この漫画はそういう言葉の違和感があんまりないので珍しいなあと思った。基本的にアニメでは原作の台詞がそのまま使われているけど、この台詞は改変されていた。

僕は文章を書いているときに助詞を入れるかどうかを (他に推敲すべき点があるのを差し置いて) 必要以上に悩んだりするので、こういうのが一旦気になり始めるとずっと気になってしまう。あとは最近は読点の箇所も気になるようになったけど、読点はマジで難しい。それと前にも書いたけどダブルクオーテーションの半角全角と向きに敏感になっている。流石にみんな間違えすぎていて気になってしまう (フォントのせいもあるのでアレだが)。たぶんこの日記を読んでいる人にも各々が引っかかる言葉とか表現とかそれらの間違いがあって、この日記を読みながらいろいろ感じるところがあったりするんだと思う。そうやって互いに言及して複雑に絡み合う構造が時間とともに変化しながら文化を形成しているところを想像すると、大いなる流れの一部として個が存在していることを実感して心が安らぐ。少女終末旅行の全体を通したテーマとしても、そういう個と全体の感覚があって (たぶん)、その辺りが僕がこの漫画が好きな主な理由である。

個と全体について書くの、絶対にこの話の感想でメタを迂回までしてやることではない。もっと直接的に言及している適切な話がある。


4巻 29話「破壊」(アニメ第11話中盤)

世界に2人しかいない状況での倫理とは……。

アニメでの破壊兵器の描写が良かった。


4巻 32話「仲間」(アニメ最終話後半)

漫画とアニメで細かい違いがいろいろあって、漫画のほうが好き (アニメも普通に好き)。アニメだとこの話で〆なければいけないので、調整のためにはしょうがない部分はあると思うけど。


ユーリが「・・・お前はいいな 仲間がたくさんいて」と言うところ、漫画での表情がとても良い。こういう顔をして生きていきたい。


急に世界の雰囲気が変わるくらいの設定がぶっこまれる (伏線的なものはあったけど) ので、地の面白さがなかったら興醒めになっていたかもしれない (最初アニオリかと思った)。でも、あの生物 (?) は作者にとっての願望とか救いが形になったものな気がしていて、それを考えるとわりとアリなのかなという気持ちになる。

僕は作品を人のアイデアが形になったものと捉えがちなので、作品を作者から切り離して考えるのが苦手である。作品の考察をしようと思っても作者がどういう意図でそれを作ったのかを考える (というか感じ取る) ことが多い。作者の意図は差し置いて純粋に作品だけを材料として考察をすることもあるけど、そのときはどこか一歩引いている自分がいて、「まあこんなこと作者は考えてないけどな……」とも思っている。まあ僕が感じ取った (と思っている) 作者の意図も全部間違っているかもしれず、作者が意図しているかしてないかだけに意味を見出すのは危ういとも思っている。

自分とあまりにも違う人間の作った作品を見ても意図が全然わからなくて楽しめないことが多い。美術品を見ても感想が「わかる~~~」と「わからない……」しかない。わからなくても楽しめるようになりたい。あるいは全部わかるようになりたい。


4巻あとがき

「マクロすぎる視点は、あんまり人を幸せにはしないのかもしれない」

流石いいことを言う。


あんまり一つの対象に心酔しすぎるのは良くないと思っていて、普段の生活で何かを好きになる気持ちに心のブレーキを踏んでいるような感じがある (ある程度無意識に)。そうすることで飽きることなくそれをずっと好きでいられるし、他の多くのものも同時に好きになれている気がする。それはこの作品・作者も例外ではなくて、めちゃくちゃいい表現とかめちゃくちゃいい言葉があっても、絶対に良いものだとは盲信せずに疑うところから始めてじわりじわりと身を浸している。しかし、そうしようとはしているけど、あまりに良くてノータイムで心酔しそうになる。


5巻 35話「美術」(以下未アニメ化)

特に書くべきことはないけど、良かった。SFと日常系の両方の良さが相乗している。

こういう体験をしてみたかった。


5巻 39話「忘却」

やっぱりこの忘却が救いという感覚がよくわからない。次の40話「故郷」で描かれてるように忘却によって初めて生じる感覚があって、僕にとってはそれが救いであるという感覚はあるのでそういうことなのかなと一瞬思ったけど、その感覚が救いなわけではなく忘却そのものが救いであるというのが作者の書いているところなので結局よくわからない。

嫌なことを忘れたりとか、忘却が救いになることはあるけど、忘却がなかったら他に救いはないのかと問われたらそれもまた違うような気がする。


6巻 43話「図書」

最終話を除いて一番好きな話。最終話は作品全体を踏まえた上での感想になるので、話としては実質一番好きな話。感想を書くのが嫌になるほどに好きな話。

でっかい図書館という存在は当然魅力的なので、古今東西様々な創作物に登場する。僕が知ってるだけでもバベルの図書館とかワンピースのオハラ図書館とかドラクエ11の古代図書館とか。その中でも少女終末旅行におけるでっかい図書館の扱いは良い。人間が総体としてアイデアや知識を蓄積していくことを肯定しているわけではなく (素晴らしいことではある)、個々の目的のない営みの結果としてただ存在するものとして書かれている。もう世界には2人しか人間がいないから、ほぼ全ての本が二度と読まれることがないけど、もっと大きな流れの中で2人の個の営みにつながって流れていく。そのつながりには因果関係も何もないけど、それらが全て集まってひとつの大きな流れを形成している。

たぶんだけどレイ・ブラッドベリ「発電所」に時間の流れを加えたような感覚に近い。今、わかりにくいものをもっとわかりにくいもので喩えている。


6巻 44話「喪失」

ここから最終話までずっと悲壮感のある話が続くけど、この話が圧倒的に悲しすぎる。

最後のコマの、確実に終わりに向かってる感が悲しい。


6巻 45話「睡眠」

銃を投げ捨てた直後の、チトが横目でユーリを見るコマ。すごい。


前の話に引き続き、物がなくなっていく描写は悲しい。自覚なかったけど僕はこういうのが心にキやすい気がする。物へのこだわり。


6巻 46話「沈黙」

この話も含めて最終話付近のユーリの言動が好き。頼りになる。でもここまで来るまでの長い道程を考えると、理性的なチトがいなかったらもっとずっと早い段階で旅が行き詰まっていただろうし、2人でバランスをとってここまで旅を肯定的に続けてきたのだろう。チトだけでもここまで来れたかもしれないけど、振り返ったときに旅を肯定できなかったかもしれない。僕も心の中のチトとユーリ2人の性質をバランスさせていけたらいいけど、現状チト成分が弱くて行き詰まっている。僕も最上層まで辿り着きたい。


6巻 47話 (最終話)「終末」

いい人生だった。感想を書くならこの言葉しかない。

過去を肯定するだけではなく、過去の累積としての今を肯定して未来がどうなろうと今日を明日を生きていく糧とする。これはもういい人生だったすぎる。


6巻あとがき

してみむとしてしようかな、男もすなる考察といふものを。

6巻のあとがきは麦畑で周囲を見渡しているチトとユーリのイラストである。麦というと本編で唯一連想されるのは20話でビールがで出てきたことで、そこではビールに月光が溶け込んでいるようだと形容されており、それが20話の主題となっている。そして、チトが「いつかずーっと高くまで登ってさ・・・ 月に行こうよ」と発言している。また、アニメ最終話ラストのアニオリの追加シーンで今度はユーリが「一番上に行ったらさ そしたらその次は月に行こうよ」と発言している。つまりまとめると、あとがきで描かれた麦畑はビールの源である月の風景と同一視することができ、最終話の後に目指すべき場所としての月に2人が辿り着いた場面と解釈することができる。


ここで一旦落ち着いて、あとがきに描かれた麦をよく見てみると、穂の形からして大麦ではなく小麦である。ビールの原料ではない。

さらに落ち着いて、最終話が書かれた頃の作者Twitterを見てみると、麦畑が特に具体的な理由はなくなんとなく好ましい場所として扱われているような雰囲気のツイートが散見される。

もっと落ち着いて、同作者の次回作の『シメジ シミュレーション』を見てみると、麦畑が広がる町が舞台になっているがそれだけであり、やはり麦畑にメタファーとしての具体的な意味はなく、作者がなんとなく気に入っている場所として書かれていると解釈するのが普通である。


いや、白ビールなら小麦が原料だし、ケッテンクラートがドイツのものであることを考えると白ビールだとして不自然ではないから……。


アンソロジー 1巻「映画」

「今しかほしくない・・・」

それすぎる。

それじゃダメなんだけどさあ。

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この年まで成長して、ひとつの作品を何回を読み直すということをほとんどしなくなったけど、少女終末旅行は何度も読み返している。感想を書きながらさらに何回も読み直した。

刺さり度で言ったら今まで読んだ漫画の中で一番上かもしれない。刺さりまくっている。

しばらくはチトとユーリのことだけを考えて生きていきます。









(おわり)