2021.10.06 の日記:戸籍を売買 自己同一性とバイバイ

(昨日の続き)

ICCの「生命的なものたち」に行った。

気になったり気にならなかったりした作品の感想を書く。

「かぞくっち」

“家”としてのロボットが箱庭のようなケースの中を動き回っており、それぞれの“家”の中ではデータ上の存在ではあるが「かぞくっち」と呼ばれるデジタル生命体が暮らしている。他の“家”の「かぞくっち」と交流することで新たな「かぞくっち」が生まれて個体数を増やしていく。それぞれの「かぞくっち」の個体 (の情報) はNFTに登録されており、人間でいう戸籍や住民票のようなものに似ていると解説されていた。

デジタルな生命体の自己同一性をNFTに求めるのは自然な発想な気がするけど、外部のシステムに依存するのはそれでいいのかという気もする。「かぞくっち」の存在する箱庭内の“家”からなる分散処理だけで個体を個体たらしめるような自律的なシステムを構築できればもっと面白そうではある。トンチンカンなことを行っていたら申し訳ないが。

本職の哲学者にこの辺の話を聞いてみたいけど、聞いたところで理解できる気はしない。


「小光の部屋」

ゲームなどのインタラクティブな作品がいくつかある部屋。子供英会話教室感がある。

他に先客がいたらたぶんこの空間に入るのをめちゃくちゃ躊躇っただろうけど、誰もいなかったので一人で楽しんだ。

youtu.be

スーツケースを操作して持ち主に届ける「suitcase adventure」の雰囲気が好きだった。


「The View from Nowhere」

写真禁止だったので文字だけで。というか写真を撮れるような作品ではなかった。

VRヘッドセットを装着して10m四方くらいの部屋に1人で入る。部屋の中央に細い柱があって、それにつかまりながらVR空間内を動いたり周りを見渡したりしているとVR空間が変化していく。最初は実際の部屋と同じような空間が見えているが、段々と柱以外の空間が崩壊していく。たぶん視点の移動に連動して崩壊がリアルタイムで変化していた。視点を移動することで空間がめちゃくちゃになっていくのが面白くてひたすらヘドバンをした。ヘッドセットと肌の間に装着するアイマスクみたいなのがめちゃくちゃズレで大変だった。

どこにいても体験できることが売りのVR映像が今いる実際の部屋と関連していて、ARとVRの中間みたいな不思議な感覚だった。こういう絶対にその場でしか体験できない作品、あるいはその場で体験することではじめて意味が見出だせる作品があると、わざわざ来てよかったなと思う。

あと、音はイヤホンとかヘッドセットから聞こえてくるわけではなく、部屋に設置された高級な音響装置から発生していたらしい。こだわりがすごい。

(続く)