2021.05.13 の日記:あなたたちには今から靴下の補修をしてもらいます

言語的な能力が日によって全然違う気がする.今日は全然ダメ.

文章をすらすら読んだりとか文法的に正しく話せるかが判断基準になっている.特に英語の文章を読んでいるときに差を感じやすい.英語を言語として認識できるときとできないときがはっきりわかれている.普通は言語の文法の正しさは帰納的に判断していると思うけど,言語を言語として認識できていないと,文法的の正しさが演繹的にしか判断できなくなる.これは英語に限らず日本語でもそうで,しゃべりながらどんどん文法が変になっているときは正しい文法を理屈で考えてしまっている.

言語的な能力ではなくて集中力の問題かもしれない.言語を正しく運用できる程度が集中力の関数になっているとすれば,その関数はシグモイド関数になっていると思う.閾値があって集中力がそこを超えないとまともに言語の運用ができない.同じ言語でもプログラミング言語の運用は集中力とあまり関係がない感触がある.プログラムは全然集中していなくても書ける.

文章を書く時はいつでもそこそこ正しい文法で書けるな.文章を書くときは言語を言語として認識していないのかもしれない.……いやそんなことはないか.書くときは文の前半をいつでも見直せるし出力のスピードも遅いのでどんな状態であってもそこそこの文章を書けるだけかもしれない.特に文の前半をいつでも見直せるのが効果が大きい気がしていて,話すときを考えると短期記憶が効いているときは正しく話せるのかもしれない.

この話題,たぶんめちゃくちゃ研究されていて調べれば情報がたくさん出てくると思うけど,“正解"を調べる前に自分の内部だけで絞りに絞り出した考察をしておいて答え合わせをしたい気持ちがある (言い訳).

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ぬいぐるみの続き.


そういえば,一昨日言及したクマのぬいぐるみは以前に耳がもげそうになったので縫って補強してある.

小学生の時に授業で使っていた裁縫セットをまだ使っている.当時の糸とか布の切れ端が捨てられずにまだ残っている.授業で余った切れ端でいろいろ作っていた記憶がある.僕,たぶん裁縫がわりと好きでやり始めたらガッツリハマる気がする.ものづくりの中で特異的に好きだな,裁縫.手段と目的の両方が好きな唯一のものかもしれない (そんなことはない).

裁縫で作れるもの,一見して個人で作れる範疇を超えてそうだけど作ってみるとわりと簡単に作れる.そういうところが好きなのかもしれない.たぶんプログラミングが好きなこととめちゃくちゃアナロジーがある.

靴下に穴が開いたときも裁縫セットを使って縫っているけど,何も調べず感性のままにやっているので適切な方法でできているのかはわからない.靴下の穴の補修方法を何も知らない人を集めて各々の感性のままに補修させた靴下を集めた展覧会をやってほしい.僕も提供します.