2021.06.19 の日記:ブレーキランプ 9回点滅 タ・ス・ケ・テ・ク・レ・~・~・~ のサイン

フリートがなくなるらしいですね。僕が「助けてくれ~~~」と言う場がなくなってしまう。助けてくれ~~~というのは助けてくれ~~~と思ったときに言う言葉で,助けてくれ~~~と思ったときに助けてくれ~~~とフリートしている (これは前にも書いた)。助けてくれ~~~とは思っているが、実際に助けを求めているわけではなく、カ行下一段活用動詞助けるの連用形「助け」+接続助詞「て」+補助動詞くれるの命令形「くれ」という意味の連なりにはもはや意味はなく、ただTASUKETEKUREの単なる (!) 6音の連なりを発するのに相応しいひとくくりの状況に直面したときに発する記号としての助けてくれ~~~なのだが、助けてくれという意味の連なりの通りの願望を込めて助けてくれ~~~と叫んでいる人が直面しているであろう状況は先程のTASUKETEKUREの単なる6音の連なりを発するのに相応しいひとくくりの状況に大部分が重なっていて一般的に考えるとその状況で助けてくれと言うことは全く不自然ではないのだが、それでもやはり意味を込めて叫んでいる状況とは根本的に異なりどちらかというと「にゃ~ん」とツイートしている人が陥っている精神状況と近いものがあるのだがそれでもやはり「にゃ~ん」とツイートしている人とも根本的に異なっており、それは陥っている状況に対してのメタメタ認知 (「にゃ~ん」とツイートとしている人はメタ認知をしていると思うが、僕が助けてくれ~~~というときは「にゃ~ん」とツイートしている人のメタ認知へのおぞましさみたいなものを明確に意識しているというメタメタ認知があるのだがこれは決して「にゃ~ん」とツイートしている人のメタ認知へのおぞましさみたいなものを明確に意識しているというメタメタ認知ができている僕のほうが優位に立っているぞというつもりは全く無くて、むしろ自分の弱さを受け入れるだけの強さがないからこそメタメタ認知に逃げなければいけない (メタメタメタ認知) という事情がありそこに助けてくれ~~~の本質がある) の強さに現れており、高次の思考を挟んで最終的に基本的な助けてくれ~~~に回帰しているわけであり、助けてくれ~~~のオリジナリティーはある程度担保されるために僕は安心して助けてくれ~~~とフリートすることができる。そんなフリートがなくなってしまうとは事件ですよ。

助けてくれ~~~