2021.09.06 の日記:You そんなサブタイトルやめちゃいなYo!

(昨日の日記の続き)

You ~しちゃいなYo!が恥ずかしくなってきた。まあ僕の人生でもっと先に恥ずべきことはたくさんあるのだが。そもそもこういう日記を書いて公開していること自体が恥ずかしい。まあでもただ恥ずかしいだけのこともあるけど、全体として大局的に生じる価値が恥ずかしさを上回る場合もあるので,、後者であることを信じて You このサブタイトル続けちゃいなYo!

デカイ本屋!

『フィールドマニュアル 図説 堆積構造の世界』

地質学の本。前から気になっていたので狙って立ち読みをした。

地質関係の出身なのに地質全然わからないのどうなんだということはずっと思っていて、地質学を勉強するモチベーションを持ち続けてきた (勉強はしていない)。実際の地層を見たときにちゃんと記載できるような知識と目を養いたいという気持ちと、構造地質学 (テクトニクス) の感覚をつかんで「~地域の形成史」みたいな博物館の展示解説を読んだときにある程度 (!) パターン化して把握できるようになったり、ある地域の地質構造が与えられたときに思い浮かべた形成史が有り得そうか (本当に地質構造を説明できるのか・物理的にありえる挙動なのか) どうかの判断がつくようになったりしたいという気持ちの2種類がある。どちらも帰納的に各論に触れ続けることでしか達成できないような気がしている。僕が疎かにしてきたやり方である (僕、自然科学辞めたほうがいいですか?)。地道に学んでいきますかね。

学部のころに学んだ地質学、今の研究にはほとんど生かされていないけど、実習の中で言われた「記載用語を形成メカニズムから独立させる」という考えは日常の一般的な場面で物事を捉えるときにわりと意識している。地質でのシンプルな例を言うと、砂泥互層とタービダイトはまあだいたいの場合において同じものを指す (実際は、タービダイトはもっと小さなユニットを指すことも多い・乱泥流以外で形成される砂泥互層も多い。自分が都合よく説明するために科学的に不正確なことを書いている。殺してくれ。全力で抵抗するけど) けど、前者は記載的な用語でまず覆ることがなく、後者は前者の構造をもとに推定された形成メカニズムによる用語なのでひょっとすると間違っているかもしれない。この記載的なほぼ確実な記述とメカニズムなどの推測を含む不確かな記述を明確に分離して考えて、まずは前者だけで完結するように記載をしようというのが元々の主張である (まあこれを言った先生は絶対そうあるべきとは言っていなかったが)。地質学に限らず科学においてはまあなんかわりと当たり前の主張っぽいけど、日常生活で、特に人間が他人の振る舞いに言及するときには利便性を考えて本来は感情や目的がわかって初めて正しいことがわかる言葉ばかり使われがちで、僕はそれがけっこう嫌なのでそういう言葉を使うときは注意を払いたいと思っている (けど実際は自覚なくめちゃくちゃ使ってると思う)。

まあ、それはそれとして記載的で使いやすい言葉があったとしても利便性が低すぎて使いたくないような気もする。「怒っている」という言葉はあくまで人の感情を推定して使う言葉で、対応する記載的な言葉は例えば「笑顔 (これは記載的?) が消えて」「声を荒らげて」「否定する」みたいな言葉になるけど、人が“怒っている”ときにわざわざそういう記載的な言葉で意識的に状況を認識してから本当に怒っているかどうかを推定するかと言われたら面倒すぎてそんなことはしたくないし、意識せずに自然にノータイムで「この人は怒っているなあ」と感じてしまうのでそもそも記載的な把握だけをまず行うのは無理な気がする。まあしかし、それでもそれはそれとして、他人の感情と目的を推定する自分の能力は疑ってかかりたい気持ちがわりと強いので感情の推定を後から行った状況の記載で疑ってほぼ確実に正しい生の状況をそのまま把握しようという心構えは持っていたい。

認識にあたっての記載とメカニズムの区別が曖昧なの、模様の発生をやっている人間として致命的では?

自然科学と日常生活の間に類似性を見出して生き方に反映させるのけっこうやってしまうので気を付けなくてはいけない。危うい。正しく細い道から一歩踏み外すとヤバい世界に転落してしまう。両足を踏み外したら股間を強打してしまう。

(続く)