2021.09.10 の日記:ああだ・こうだ (江戸時代の兄弟の職人)

なんかもういろいろあって (なんかもういろいろあったわけではない) どうにかなってしまって (どうにかなってしまってはいるかもしれない) 半年くらいずっと頭を使わない生活をしており、こんな呆けたような状態では流石にヤバいなという実感をようやく覚えるようになってきたので日記でも再開するかという気持ちになった (もっと先にやるべきことがあるだろ! (これは形式的に言っておかねばならない決まりになっている))。

頭を使わないといっても単純に何も考えないという意味ではなく、方程式の解を求めたりだとか、簡単なプログラムを書いたりだとか、反射的にそれっぽい会話をしたり (AIみたいに!) だとかはたま~にやっていたけど、そういうときに頭を使っている感覚はなくて、未来の利益を考えたりだとか、何かが正しいかどうかを考えたりだとか、それらの総合として意思と行動を決定したりだとか、人に伝わるように何かを説明したりだとかをするときに頭を使っている感覚を強く感じる (けどそういうことはめったにやらない。嫌なので)。

日記を書くときには人が読んでも意味が通じるように正しいことを書こうという意思が、ある程度 (!) はあるので頭を使うことになる。日常的に頭を使って脳に負荷をかけていないと脳神経が錆びついて電気が通らなくなってしまうので、ちゃんと継続して日記を書いていきたい。まあどうせ1,2週間くらい書いたら飽きたりネタがなくなったりしてまた書かなくなるんだろうけど、12月 (ぬるぬるバイオマット暦) の分までは書いて終わりたいので断続的にでも続けていけたらいいな。

ここまで書くのに1週間くらいかかっており、かなり脳が終わっている。1週間ずっとこれを書き続けてだけいたわけではないけど。

はてなブログやnoteを見ているとほぼ毎日数千字の日記やエッセイを書いている人がチラホラといて本当にすごいと思う。しかももちろん1日それだけをやっているわけではなく、おそらく仕事や学業の隙間時間や余暇の時間を使ってやっているわけだろうだがいったいどうなっているのか。

僕も一時期は1000字を目安に毎日日記を書けていたけど、1日分を書くのに2時間~半日くらいかかっていて本業に支障が出まくっていた。まあ文章化しやすい内容としにくい内容があったり (例えば出来事をそのまま書くタイプの日記は文章化しやすい)、ブログサービスを使う全員がマトモな文章を書いているわけではなかったりするけど、それでも質を差し置いても圧倒的な量を生成できる人はすごいと思う。たぶんそういう人は仕事ができる人なんだろうなという感じがする。あーだこーだと考えて結局微妙な質の微妙な量しか生成できない人が一番仕事ができない。まあ、あーだこーだと考えながら微妙なものを生成しながら生きるのが一番楽しい。あーだこーだと考えながら微妙なものを生成しながら生きていきたい。