2021.02.01 の日記:Re: 諸行無常

2019.11.22(続き)

知人の車に乗せてもらい,夕方に東京を出発.名古屋を目指す.

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東京→名古屋

平日夕方の首都高はとても混んでいたので抜け出すのに 1 時間強かかった.そこから SA での休憩を挟んでひたすら雑談しながらのドライブ.雑談は好きだけど苦手.人と話してるとだいたい相手に話題の提供を任せることになってしまう.人といるときの静寂が苦にならないので,これまで長い間生きてきて話題を意識的に出すモチベーションがなかったけど,相手に負担を強いていることをそこそこ年取ってから感じ始めて辛くなっている.話題を出せないなりに会話の広げ方が上手なわけでもなく,頑張って自分から話題を振っておいて相手の回答に対して「へー......」みたいな反応をして会話をブチ切ってしまう.みんなどうやって会話してるんだ.まあ会話ができないことはしょうがないとして(しょうがなくはない),できないことを自覚してなかった(正確に言うと,できないことが問題であることを自覚してなかった)のはかなりマズイな~と思う.

会話に限らず自分の言動を客観的に分析するのは中高生くらいでできるようにならないといけないことのようが気がするし,できないままそれを自覚せずに生きてきたの怖すぎる.自分に対して人がどのくらい精神的に発達してるか全然わからないの怖くないですか?自分だけが中高生の精神に取り残されたまま周りの人だけ何年分も発達し続けてきているかもしれない.あと十年経ったら同世代と全くコミュニケーションとれなくなっているかもしれない.

少し前まで,冗談半分で自分で自分のことを「精神年齢が中学生」とかよく言ってたけど,あれは本当に精神年齢が中学生で止まっていることを実感として自覚してるわけではないからこそなんとなく言えることであって,「精神年齢が中学生」であることを実感するためには自分を客観視できるように精神年齢を中学生から成長させなければいけないのでそもそも「精神年齢が中学生」であることをリアルタイムで自覚することは理論上不可能.ところが自分を客観視できる人は自分が精神年齢が中学生ではないことがわかるので自分の精神年齢が中学生であることを言うことはなく(精神が成熟した人が 100 % 冗談で言う場合は知らんけど),すなわち「私の精神年齢は中学生」は常に真になる.たとえ本人の自覚がなくても.

「精神年齢が中学生より成長している」は偽になりうるので気をつけましょうね……

こういう自覚の伴ったメタ言及の言及(メタメタ言及)で何か面白い文章できないかなと考えたけど難しい.上の「私の精神年齢は中学生」は要するに「私はメタ思考ができない」ということを言っていて,メタ思考ができないという判断にはメタ思考が必要なので,自覚を持って「私はメタ思考ができない」と言うことはできない.すなわち「私はメタ思考ができないと正しく自覚している」は常に偽.......いや結局さっきと同じことを言い換えてるだけだな.論理学的な議論ではなくて単なる言葉あそびに過ぎないので厳密ではないけど,何か面白いことできそう~~~

最初は哲学的ゾンビのこと書こうと思ってこの話題書き始めたんだけど話膨らませてたらほとんど関係なくなっちゃった.

話は戻り,車の中ではいろいろな話をした.ほとんど内容は忘れたけど,『君の名は』の話をしたのは覚えてる.古文を題材にしてそうなのでその辺りの背景に明るかったらもっと楽しめるだろうな~という話をした.あとは全部忘れた.

6 時間くらいずっと話していたら名古屋に着いた.レンタカー屋(本当はカーシェアの駐車場)の近くの八田駅に降ろしてもらい,ここからはひとりで行くことになる.

(明日の日記へ続く)